Cultural Assets
西海の文化財
西海地区の文化財をご紹介いたします。
国指定重要文化財・県指定重要文化財・市指定重要文化財
これら全て、いつまでも残しておきたい
西海の宝です。

国指定重要文化財 彫刻
木造十一面観音立像(水保)
水保に“ナタ彫りの観音像”があります。
像の高さは155㎝、桜材の一木造で両手首が失われています。ナタ彫りは丸ノミを横に使う技法で、県内では珍しく、頭部、天冠台上の10面は“墨書です。立像は藤原時代の製作といわれ、昭和32年8月(1957年)、国の重要文化財に指定されました。
.jpg)
県指定重要文化財 天然記念物
真光寺の大イチョウ(真光寺)
真光寺の白山神社、阿弥陀堂の境内に幹の太さ9m、樹高20m、樹齢600年以上と推定されるイチョウの大木があります。以前は地上6mの所に幹の太さ1mのイタヤの木が寄生していました。
昭和35年(1960年)12月、県の天然記念物に指定されました。
.jpg)
市指定重要文化財 彫刻
耕文寺木造釈迦如来坐像(羽生)
羽生の耕文寺に“木造釈迦如来坐像があります。坐像は寄木造で玉眼嵌入、座高41.5cmで、室町時代の製作と推定されています。台座・光背は、江戸時代の作です。
昭和47年(1972年)3月、市の文化財に指定されました。

市指定重要文化財 彫刻
木造阿弥陀如来坐像(真光寺)
真光寺の白山神社の境内の阿弥陀堂に“木造阿弥陀如来坐像が安置されています。桧材(ひのきざい)の寄木造、漆箔仕上げの像で、高さは86㎝、鎌倉前期頃の作だといわれています。
昭和50年(1975年)3月に市の文化財に指定されました。
ここには、昔、真言宗光明山真光寺という大きな寺がありました。堂の横には、稚児池があります。

市指定重要文化財 天然記念物
山王森大ケヤキ(水保)
水保の入口に、見事な“ケヤキの大木”があり、四季折々すばらしい景観を見せてくれます。春の新緑、秋の紅葉、そして冬の雪景色は人々の心をなごませます。
樹齢数百年、幹の周り7.3m樹高26mの大木です。
平成10年(1998年)3月、市の天然記念物に指定されました。またこの丘は“森下遺跡“という縄文晩期集落跡と考えられています。
“山王森”の由来は、昔ここに山王社があったからで、今は水保の日吉神社に合祀されています。
_edited.jpg)
市指定重要文化財 天然記念物
釜沢神社の大杉(釜沢)
釜沢神社の境内に大杉があります。幹の周りは10m、樹高33.5m。地上2mのところで2本に分かれ、うち1本は8mのところでさらに2本に分かれています。
市内では県指定の杉之当(根知)の大杉に次ぐ大木です。神社の境内には幹周り3~4m前後の杉の木が何本もあって杉の森になっています。
昭和49年(1974年)3月に市の文化財に指定されました。
_edited.jpg)
市指定重要文化財 有形民俗
日吉神社棟札(来海沢)
来海沢の氏神日吉社に伝わる古い棟(むな)札(ふだ)が、昭和46年(1971年)3月、市の文化財に指定されました。
この棟札は、天正19年(1591年)再建の際のもので、縦24㎝、横45㎝の鉈(なた)削りの杉の板切れで粗末なものですが、虫食いもなく、400年以上前のものとは思えないほどです。
ただ、墨が薄くなっていてよく読みとれませんが、火災によって消失したその年に、再建したと記されており、裏面には15人の寄進人と寄進物が列記されています。
なお、同社は、文政5年(1812年)神階“正一位”を授与され、その際の仁孝天皇の親筆も保存されています。

市指定重要文化財 建造物
松沢家住宅(来海沢)
来海沢の松澤邦男さんの住宅は、平成3年(1991年)3月市の文化財に指定されました。
住宅は木造二階建て瓦葺(かわらぶき)、間口12間、奥行6間、建坪125坪、幕末から明治の初めに建築されました。田の字型の典型的な農家の造りですが、“せがい造り”という内部から外部にせり出した“はね木”で重い軒を支える構造が特徴です。
松沢家は市内でも指折りの旧家で大庄屋でした。
.jpg)
市指定重要文化財 有形民俗
堀清重願文絵馬(御前山)
御前山の観音堂に、“堀清重願文絵馬(ほりきよしげがんぶんえま)”があります。堀清重は後の清崎城主で、慶長11年(1606年)に奉納した絵馬です。縦115㎝、横140㎝の杉板4枚をついだ額面の中央には黒駒が描かれています。願文の文字は判読困難ですが、雨ごいのものではないかと見られています。この絵馬は、糸魚川市最古のものです。
昭和46年 (1971年)3月に市の文化財に指定されました。
_edited_j.jpg)
_edited_j.jpg)
市指定重要文化財 書籍
七人待掛軸文書 付牛王宝印(御前山)
昔、土地問題で御前山・市野々集落が争いました。天正16年(1588年)上杉景勝の時、役人 直江兼続が、集落の代表者を集め裁判を行いました。その裁判は牛王宝印の紙を飲み込んで腹痛を起こしたほうが負け、という裁判でした。
その結果、市野々集落が負け、勝った御前山集落に裁許状が出されました。その証文は昭和48年(1973年)3月に市の文化財に指定されています。山公事文書では、糸魚川市最古のものです。
その争いの“山公事の場が市野々集落と御前山集落の中間にあります。